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結婚式の歴史(日本)

2006年04月05日14:41

結婚式の歴史_宴会の作法編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_宴会の作法編です。

日本の古い習慣では、
宴会は非常に厳格な作法がありました。

酒宴でも客が席に着いたところで
ただちに酒が出るのではなく、
はじめに高坏にもてなしの料理を載せ
全員に運び終わると、
次に酌人が上席から酒をついでまわる「一献」という作法です。

次に第二台の料理です。
そして同じように酒をつぐと「二献」が終わります。
ついで「三献」が始まって座を閉じ、正式の宴は終わります。

この三日間は、
殿中の燈篭、
灯台の明かりは消さないのが吉例で、
宮廷民間ともにこのように行われていました。

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結婚式の歴史_公家婚礼編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_公家婚礼編です。

 婿は布袴(束帯につぐ礼装)、
衣冠という宮廷衣服を身に付けて車か馬に乗り
、松明を先に家司(職員)などをつれて、新婦の家へ行きます。
この時には家族は同行しません。

到着すると婿は門前で車あるいは馬から下り、
案内によって寝殿廂の母屋のとばりの前に座ります。
そのあと婿はとばりの中に入って新婦と会い、
装束を脱いで共寝をする。

この時三日夜餅(みかよのもち)を銀盤に盛って出されます。
これは結婚の日から3日間供進することから出た名前です。
これを3つずつ食べた後で再び帳外に出て、
婦家から贈られた衣服を着て饗膳につきます。

ここで酒を酌み、真の床入となりまる。
そして3日間、同じ儀式をくり返します。
そのあとで露顕(ところあらわし)、
今でいう結婚披露を行い、
婿と舅の対面式を行い、酒を酌みかわしました。
婿は結婚後吉日を選んで、妻の家から出仕しました。

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結婚式の歴史_平安時代編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_平安時代編です。

 平安時代に行われたのは公家式結婚です。
当時、貴族の子女は幼小のころに婚約することが行われてました。

後一条天皇(1008〜1036)は11歳の時、
20歳の藤原威子の入内がありました。
双方の婚約が行われると、
婿側から「消息便」が立ちました。

この使いは「文使」ともいい、
婿から嫁に対する恋文でした。
この文は、柳の枝に吊して嫁方へ持っていき、
女性の代わりに、その父兄が相手の人物、
家柄などを確かめて返書を送りました。

「栄花物語」にある藤原長家の歌に、
夕ぐれは待遠にのみ思ほへていかで心のまづはゆくらむ
(意味/結婚の夜が待ち遠しくてたまらない。どうしたら心だけでも先に行くことができるだろうか)
というものでした。

使いが先方に着くと、上座に招き入れ、
「三献の儀」の接待があって、祝儀に衣服などが贈られました。
婿の家では吉日をえらび、夜に向けて出立の準備がなされます。
夜になってから従者を連れ嫁の家に向かいました。

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結婚式の歴史_飛鳥・奈良時代編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_飛鳥・奈良時代編です。

飛鳥・奈良朝になって儀式に
唐の習慣が取り入れられるようになりました。
結婚式は戸令(民法)によれば、
唐にならって男子15歳、女子13歳で許され、
その他、皇族と臣下との通婚を禁じることなどが決められています。

父母及び夫の喪のある間は、嫁取りを禁ずること。
掠奪あるいは売買による結婚を禁じることなどが規定されています。

この時代にはいると、結婚には媒酌人というものが定められました。
男子から媒酌人を女子の父母、
祖父母などに申し入れて承諾を得た話がまとまれば、
男子側から進物を女子へ贈ります。

媒酌にあたって必要なことは納采(結納)でした。
これは中国から入ってきた風習です。
また当時結婚の日取りは
吉凶を占って決めていたことがわかります。

皇室は妃が入内(内裏に参入)し、
一般では新婦の父母が吉日を選んで、
新郎を家に招き夫婦のかためをしたようです。

貴族の間では一夫多妻の習慣があり、
最初にめとった妻を「こなみ」と呼び、
正妻の地位を占め、その他は「うわなり(後妻)」と称せられました。

律令の母体である唐律令では、
重婚を禁じていましたが、
日本では第2夫人以下は「うわなり」と呼ぶことで解決していたようです。

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結婚式の歴史_神話の中の結婚編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_神話の中の結婚編

「古事記」によると、イザナギ・イザナミは
オノゴロ島の八尋殿の神聖な御柱を旋って
結婚しています。

この時女神が先に言あげ(発言)をして
「あなにやし、えをとこを」(あなたはよい男だ)といい、
男神はあとで同様の事を言いましたが、
これがわざわいして不具の蛭子が生れたので、
今度は男神が先に言あげして、
淡路島と四国とを生みました。

我国の礼儀は男性を先とし、
女性をあとにすることは、
遠くここに起原を求めることが出来ます。

男子が適当な娘を見初めれば直接申し込むか、
その父兄に申し込む。
あるいは臣下を娘の家へやって申し込むこともあります。
結婚の場合は、まず男が妻となる女性を求めたが、
これを「つままぎ」と言いました。
そして結婚の申込を「つまどひ」といいました。
こうしたつまどひに対して、
女性が承諾するとここに婚約が成立します。

男女の出合いの場には、
五穀豊饒を祈ったり、また取り入れの祭礼に、
男女が歌い踊る歌垣というものがありました。
ここで男女が歌を歌い合って、
求婚の機会としたようです。

申し込まれた娘は父兄に身のふり方につて相談して、
もし異存がなければ、即座に縁談が成立し、
婿になる人は娘の家で挙式することになります。
そして男はある期間同家に通い、
後に家居を建ててここに同棲することになります。

男子は早婚であったが、
妻のない人は「妻まぎの旅」といって
妻を求めて旅をすることもありました。

かの大国主の兄弟八十神が妻まぎの旅に出るので、
大国主は袋を持って従ったことが伝説に残されているようです。

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結婚式の歴史_日本古代編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_日本古代編です。

日本人の祖先は性に対しては割合に開放的で、
男女間の交際は大変におおらかでした。
いわゆる乱婚とか雑婚という状態が長々と続いたようです。

これは日本に仏教や儒教などの道徳規範が
到来していなかったことが理由の一つです。
また掠奪結婚というのもあり、
相手を肩に担いで連れ去るので、俗に「かたげ」と呼びます。

それが一変すると、購買結婚といって娘を米俵、
牛などで買うこととなり、これも後世までも残っている習慣ですね。
贈与結婚というのは娘を高貴の方に献ずることで、
中古の采女という陪膳の女官はほとんどこの結婚です。

結婚方式では同意結婚
即ち男女ともに合意の上で結婚するものが穏当ですが
、わが国でも太古から貴族の間にはこれが行われていたようです。

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結婚式の歴史_日本編【結婚式@アドバイス局】 0

結婚式の歴史_日本編です。

 日本の結婚の形式は、「婿入婚」つまり、
新郎が嫁の家に入りそこに住まうことが基本的なものでした。
この形式は貴族社会を中心にして伝統的に行われてきたのですが、
鎌倉時代に入り武士の勢力が顕著になってくるに従って、
「嫁入婚」 に変わっていきます。

またこの時代には武家のための儀礼が確立され、
現代まで残されている作法の原点となっているようです。

 江戸時代に入ると、裕福な町人階級が武家の結婚風俗を手本に、
華やかな結婚が行われるようになりました。
明治時代には、西洋の文明開化思想の影響が
結婚儀礼のなかにも反映し、
人前結婚など宗教色のない結婚が、
神前結婚と並んで普及していきました。

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